ワカモノ

一生懸命がカッコいい イレギュラー大学生/マイケル

マイケル

イレギュラーで好奇心旺盛な大学生 

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https://www.facebook.com/michaeljohnangelo.dalmo.5

【年齢】2000年3月生まれ 18歳

【出身地】フィリピン マニラ

【趣味】プレゼンテーション

【将来なりたい自分】関わった人に恩返しできる人に

【求めているもの】向上心をくすぐる刺激!

何をしているのか

自分は高校時代、岐阜県美濃加茂市で「農業・多文化共生・教育」関連の地域活性化を計画実行し、「恩返しをしたい」と言う意思の元、活動をしてきました!

大学ではその活動を形を変えながらも他の地域へ自ら考えた地域活性化プランの拡散、そして、外国人の多い高校で多文化共生の講演をしていて、それに加えて学生時代に築いた人脈を生かし、高校生のプロジェクトの相談に乗ったり、月一で学生向けのプレゼンスキルアップ講座を企画しています!

それと、自分の世界観を広げるためにも「マイケルの放浪記」として一人旅を月1のペースで行っていて、例えば石川や新潟で農業をしに行ったり、三重で元特攻隊員の取材をしてその内容をFBで記事にして投稿し「自分らしく個性を活かして生きることの楽しさ」を発信しています!

自分史

0歳 「誕生」
フィリピンマニラで生まれる。
3歳 「両親との別れ」
両親は日本へ出稼ぎに行き、私はフィリピンのその母実家に引き取られる。
7歳 「日本へ」
日本への移住手続きが完了され、日本の美濃加茂市に両親と移住。しかし、それまで4年間フィリピンの祖母といとこの中で過ごして心を閉ざした僕にとって、「これから両親と過ごすんだ」という実感もなく、両親を両親とも思えないほど関係は冷めきっていた。外国人児童初期学習適応指導教室「エスペランサ」にて、日本語と日本のマナーを学びそれと同時に先生や地域の人たちから声を毎日声をかけられながら「人の温もり」を知る。
8歳(小学2年) 「日本の小学校に転入」
外国人児童初期学習適応指導教室「エスペランサ」にて、ある程度学び終わった後、日本の小学2年生の3学期に転入。ただ日本語が少し話せるだけだったので、孤立したり先生の目から見えないような陰湿ないじめのマトになることもあったが海外留学の経験がある先生やリーダーシップが強い級長のおかげで「普通」に小学生として学校生活を過ごすことができるようになった。そして、日本人のクラスメイトと話すことが楽しみになってきて日本語の能力が人一倍に成長し、転入してから3ヶ月で日本語教室を卒業。
10歳(小学4年) 「責任感を発揮」
クリスマスイブの放課後の出来事だった気がするが、仲がいい友達同士で遊んでいると2歳年上のガキ大将に絡まれて、恐喝まがいの脅しを受けたがヘルメットを壊されそうになった時に隙を見て脱出。帰って早々親に「すぐ学校に連絡する」とつげ風呂に入り、落ち着いたところで友達の親や先生に冷静に状況を連絡し、物的証拠も見せ、ガキ大将に謝罪してもらった。この時にすごく冷静で次のことを考えていたのは「なんとかするべき」という責任感にかられたと思う。この時に責任感が人一倍強いって周りから思われるようになる。
12歳(小学6年) 「給食委員を経験」
とりあえず給食委員をやってみて、いわゆる「10分配膳」の取り組みでみんなが座っている配膳中に動くのがかなり「イレギュラー」な感じて私は心から興奮してハマって積極的に責任感を持ってその仕事に動くようになった。
〜15歳(中学時代) 「周りの人たちからのバッシング」
中学校では、3年間毎日給食配膳のボランティアをして、その活動が評価され、給食委員長に立候補し見事当選。しかし、その際に落選されたのが女子と前委員長だったため「なぜマイケルが?」とバッシングを受ける「どうせ先生のコネだろ?」「外国のくせに」などと笑いながらぶつけられる暴言に耐えながら委員長の仕事をこなした。家に帰れば親父との考え方の違いいつも説教され、その度に「君は日本人じゃない。外国人だ」と強く言われ、自分は日本人になれないんだと絶望を味わう日々を過ごした。
〜15歳(中学時代) 「息抜きだった”ボランティア”」
学校も家でも落ち着けなかった私は学校で募集された市のイベントのボランティアの広告を見て参加し始める。やり始めたら、給食の配膳みたいに責任感を感じてハマって、周りからも「ありがとう」と認めてもらえるから本当に嬉しくて毎月に2回のペースでやっていた。最終的に教育委員会の報告会の司会を市役所からのお墨付きで一人で任せてもらえるようになった。
16歳(高校1年) 「憧れの”農業高校”に入学」
かつて小学校3年生の時に農業体験の遠足で向かった農業高校の生徒である”お兄さん””お姉さん”の人間力に魅力を感じでずっと一途に農業高校を進路にしたいと思っており、その想いもあってか、かつて小学校の時に行った農業高校の食品科学科に入学。
16歳(高校1年) 「評価されない頑張り」
高校生活が始まり、私はクラスでは副学級委員長、学校では生徒会書記と責任重大で活躍できる役職に立候補して、体育祭や文化祭で多忙の中、クラスと生徒会を支えようと努力した。実際にクラスの文化祭の出し物を作る際にも最終責任者を務め、多くの原材料を直接確保、買い出しその予算の管理までしながらクラスが終わったら生徒会と、とにかく忙しいスケジュールだった。しかし、周りの評価は「マイケルなんか出しゃばっているし、いい結果出してないよねw」とバッシングされるものだった。自分が作った実績は他の人がやったことになっていて、悪いものは自分でなすりつけられていた。頑張って最善を尽くした結果、褒めてもらえず逆にバッシングを受けることに心身ともに大打撃を受け、自分の存在意義を見失いそうになり、2回目となる生徒会選挙で落選。「マイケルはネタキャラだからなwどんまいw」と周りから笑い者にされる生活を送る。
17歳(高校2年) 「再スタート」
「頑張っても無駄」と諦めている私に学科の先生から「干し柿の活動をしてみないか?」と声がかかる。市役所の話し合いでみた地方創生の現状に憤りを感じプロジェクトを始める。「知らなければ何もできない。」と思い、干し柿農家の取材番組を作成したり、全国の干し柿農家を回る旅を先生と二人で計画。旅の最中どうして私一人のためにここまで気を配っているのかと先生に尋ねたところ、「あなたに全てをかけてもいいと思った」と言ってくれて、「先生のように私をみてくれる人のために頑張ろう」と存在意義を見つけ、クラスと父に「何やっての馬鹿馬鹿しいw」とバッシングを受けても活動をし始める。旅をしていく中で自分の世界の認識の狭さに気づき人間的に成長、自信を持って発信できるようになっていった。3回目の生徒会選挙に立候補した際、私を1年生の時から「絶対でっかい人間になると」見込んでいた先輩が応援者を引き受けてくれ、その先輩から”人前に立つ極意”や”笑ったもん勝ちの精神”、そして「一生懸命はカッコいい!」を伝授され、プレゼンのスキルが上達し、見事当選。周りは「マイケルヤベェ、、、」と言われるようになる。(※責任者を引き受けてくれた先輩は中学校時代、金髪不良少年から半年で全校生徒の信頼を得て生徒会長になった人で、高校生の漫才の全国大会で優勝。今は吉本芸人兼マジシャン。)その勢いで「何か高校生のプレゼン大会はないかな?」と検索エンジンにかけたところNPO法人カタリバが主催する「マイプロジェクトアワード2016」を見つけ締め切り間近だったので学校部門でエントリー、関西大会を勝ち抜き2017年3月東京で開催された全国大会にてファイナリストになり「ベストスピリットアワード(熱いプロジェクトに捧げる賞)」と「高校生特別賞(高校生が選ぶ日本一)」のその年唯一のW受賞を達成し、全国に活動仲間ができ、より一層人間的に成長する。
18歳(高校3年) 「挑戦」
全国の仲間ができ、そして認められた私はより一層活動に励み、農業高校の意見弁論大会で不利な状態から起死回生をはかり見事岐阜県代表になったのだが、全国大会まであと一歩の東海大会のところで惜敗。。。(全国行ったのが東海大会の開催地の高校生であり、農業の弁論なのに関係ない内容だったため余計審査員の評価が気になり悔しかった。)全国の活動仲間から慰めてもらい、その悔しさをバネにして「第21回ボラティアスピリットアワード」にエントリー。その結果文部科学大臣賞と日米ボランティア親善大使の最高賞をW賞する快挙を達成し、周りの人たちに実績としての「”恩返しができた”」と私自身本当に嬉しかった。その勢いで「マイプロジェクトアワード2017」の個人部門にエントリー。しかし、関西大会で惜敗。。。理由は「もうゴールしているプロジェクトは応援しにくい」というものでこれもまたキツかったが、またこれもバネにして全国高校生未来会議に参加し、政策プランコンテストでチームの仲間達と磨きあい優秀賞を受賞し、高校生活を終える。進路選択についても最初はSFC(慶應義塾大学湘南藤沢キャンパス)を希望し、自腹でオープンキャンパスにも行っていたが、高校からの指定校推薦の岐阜県内の私立大学の学長から「マイケルを私たちの大学に来て欲しい」という声もあったため高校の先生たちは私の進路選択を大反対し、6者面談という異例の対策を取って諦めさせようとする。「外国人の稼ぎじゃあ金がないから」という言葉しか先生方が口揃って言うことに腹が立ち自分で大学探しから始めたところ、名古屋市立大学に行き着く、当然学校からの反対や圧力があったものの、見事合格し、理系農業高校から文系公立大学の岐阜県初の進路を実現する。
18歳(大学1年) 「常識の開拓」
大学に入学後、高校時代に第21回ボランティアスピリットアワードで任命された「日米ボランティア親善大使」としてGWにワシントンD.Cへと渡米し各国の親善大使と一緒にアメリカの授賞式に臨んだ。この渡米では英語が十分に話せないコンプレックスをなんとか解消しようと行きの便で隣に座っていた外国人とずっと話したり、寝る暇も惜しんで勉強したり、相手の名前を漢字に変名する「フリー漢字」をやったりして、なんとか自立して振る舞えるようになった。そして式典で知った多くの海外の活動に感化され、帰国後、「なんとか自分の体験を伝えたい」と言う一心で講演活動を開始、愛知県の東海市・大府市・知多市の市議員100人の前で自身の地域活性化プランを講演したり、母校の中学校や外国人児童が多い学校で多文化共生の講演をし、美濃加茂市を抜け出し他の地域の現状や外国人と日本人の文化衝突を間近で見るようになりもっと判断力がつくようになり、「いろんな人たちが設定している”常識”を私が関わることによって開拓できないだろうか?」と考えもっと意欲的に活動を開始。2018年10月に開催された公立大学学生大会LINKtoposで大学の仲間を率いて活動を発表し、大会史上第一回目の最優秀賞をいただく。 

これから

バカにされてきたのに、すごいと認められたり、昔はフィリピンのど田舎でひとりぼっちだったのに今では、日本や世界に友達ができたり。本当にイレギュラーなことが度々重なり、自分らしく生きることができていますし、今の私がいるのは多くの人たちの支えがあったからだと実感しています。だからこそ私はこれからも「恩返し」をしていきたい。例えるなら医者に救われた子供が医者を目指す。そんな感じのように私も”救われる側”から”救う側”になりたい。でも、口にするだけでは何も始まらないから、まずは人前で胸張って語れるように「自分の経験を増やし、世界観を広げること」そして自分で思い描いたものを自分で現実に落ち仕込めるように「自分から価値を生み出せる人になること」の二つを指針に掲げ、「自分に厳しく、他人に優しい」人になっていきます!

そして最後にいいたい。師匠として慕う先輩から頂いたこの格言を。

「「「一生懸命はかっこいい!!」」」

この言葉が日本の子供たちが胸張ってはっきりと言えるような世の中を私は作って行きます!

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マイプロジェクト2016活動記事

https://myprojects.jp/project/2671/

第21回ボランティアスピリットアワード 渡米記事

http://www.vspirit.jp/honorees/past-award-21-celemony.html

高校生新聞記事

http://www.koukouseishinbun.jp/articles/-/3698

私がインターンとして学生向けのプレゼンスキルアップ講座などのイベントを企画しているナジックアイサポート名古屋のホームページです!ここから募集をしておりますので是非ご覧ください!

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